骰子一擲日記

自分の備忘録までに

手放したもの(2018.12-2019.03) 《序章》

私は持ち物が少ないほうだと思う。

いわゆるミニマリストではない。それでも、家に来た人が一様に「物が少ない家だね」と言うくらいだし、同じマンション・同じ間取りの住人の部屋を2軒ほど訪ねたことがあるけれど、「置こうと思えばこんなにたくさんモノを置けるんだな」とそのたびに思ったので、客観的にも持ち物が少なめなのは確かだと思う。 

思いがけずにまとまった時間ができたことだし、年末の大掃除で迷ったり時間切れで中途半端になっていたものを整理することにした。

持ち物が少ないと思っていたが、いまの自分には必要のない物がたくさんあった。

より正確に言うと、いまの自分には必要がないことにずいぶん前から気付いていたのに、手放せなくて持ち続けていた物がたくさんあった。

自分の執着心を直視するのは、けっこうつらい。

物を大事にしているから手放せないと言ったらそうだけど、ひとつひとつ確かめていくなかで、いまそれらを大事にしているのではなく、「いつか大事にしていた」ということを手放せないのだと思った。似合うよと褒められた記憶とか、手に入れて嬉しかった気持ちとか、いまこの時点での自分自身の空白を埋めるために、そういうった思い出に頼っているから、それらに関連する物を捨てるのが、怖いのだと思った。不安なのだと思った。まだ着られるとか使えるとか気に入っているとか、手放せない理由は、そういう惜しい気持ちではないのだ。認めたくないけど、そういうことだ。

それでも、意外とあっさり手放せるものだ。

明らかに必要のない物から手放していき、段階的に物が減り始めると、昨日まではこれだけは絶対に離さないと強く思っていた物、まだ迷いがあった物を、「もういいや。なんであんなにこだわってたのかなあ」と、突然、ほんとうに突然、あっさり「さよなら〜!」と明るく手放す気になる瞬間がたびたび訪れる。不思議だった。

2018年12月28日から今日までに手放した物と手放した理由を記録していこうと思う。

けっこうな数になったので、次回から何回かに分けて振り返ることにする。